6月23日はサダコ虹基金設立者の大倉記代さんの祥月命日。今から9年前の2008年に平和への想いを残して旅立たれました。
大倉さんが亡くなられ、2011年にこのブログを開設してから毎年6月23日は大倉記代さんの命日ですと、くりかえし記事にしてきました。
大倉記代さんの命日から9年、ブログ開設から6年後の今日6月23日に至るまで、世界中で大変なことが沢山ありました。そして年を追うごとに政治をはじめ様々な破たんが目の前に現れてきています。
人の命を脅かす天災に人災、愚かにも繰り返すテロや戦争。
人間の英知をもって回避しなければならないそれらの災厄に対処するために微力な私たちは何ができるのでしょうか。
東日本大震災以来、ネットの情報を通したネット民同志の繋がりは確実に強固になって来ました。
テレビや新聞だけの情報に操作されるB層と呼ばれる愚民とは一線を隔し、情報を共有するだけでなくデモをはじめ色々なかたちで実際の行動につながるようになってきました。
それでも、まだまだ既得権益を持つ権力者たちは目の前に立ちはだかっています。
そんな折り、情報を共有するネットワークの中で6月23日にあちこちで目につくのが沖縄戦終結の日という事実でした。
(沖縄では県の条例で慰霊のための公休日となっています。
また、糸満市の平和祈念公園では毎年、沖縄全戦没者追悼式が行なわれています。)
歴史を知り、過去の過ちに学ぶきっかけはとても大切なことです。
今までこの大切な慰霊の日をあまり意識せずに過ごしてきてしまったことを恥じるとともに、これからは6月23日は大倉記代さんの祥月命日であると同時に、沖縄戦の終結の日、20万人に及ぶ人々の戦争による犠牲があった慰霊の日だと深く心に刻みつけて行かなければと思いました。
慰霊の日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E9%9C%8A%E3%81%AE%E6%97%A5
2017年06月23日
2016年08月06日
平和への誓い、伝え続ける。
8月6日の広島であった無差別大量殺戮。
今年も、平和への誓いを二人の小学生が立派に宣言しました。
サダコ・虹基金からは小学四年生の女の子が代表して広島を訪問します。
忘れてはいけない歴史上の事実を語り継いで行くために、私達もその事実を正確に知る努力を怠らない様にしたいです。
今年も、平和への誓いを二人の小学生が立派に宣言しました。
サダコ・虹基金からは小学四年生の女の子が代表して広島を訪問します。
忘れてはいけない歴史上の事実を語り継いで行くために、私達もその事実を正確に知る努力を怠らない様にしたいです。
2016年06月24日
23日 大倉記代さんの命日
23日の昨日が「サダコ」・虹基金の創設者である大倉記代さんの命日でした。
伊豆大島へ墓参に行ったのはもう数年前の昔のことになりました。
その当時と比べ、今は坂道を転がるように、この日本は勢いを増してどこかへ転がり落ちていく感が否めません。
7月10日に参議院選挙があります。
少しでも良くなるよう、大倉さんの思いと共に大切な一票を投じたいです。
伊豆大島へ墓参に行ったのはもう数年前の昔のことになりました。
その当時と比べ、今は坂道を転がるように、この日本は勢いを増してどこかへ転がり落ちていく感が否めません。
7月10日に参議院選挙があります。
少しでも良くなるよう、大倉さんの思いと共に大切な一票を投じたいです。
2015年06月24日
6/23日は大倉記代さんの命日
2014年08月14日
8月6日、9日の原爆忌に投稿したメッセージです。
2014/8/6 ヒロシマ
今日8月6日は広島に原子力爆弾が落とされた日。この日は例年陽射しの熱い一日だけど、今年は雨。
原発事故は収束せず、悪化の一途を辿り、世界中でおこる紛争では子どもをはじめとする市民の犠牲が絶えない。過ちは繰り返さないと誓ってからまだ、69年しか経っていないのに。
8時15分に祈ろう。
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014080502000071.html
2014/8/9 ナガサキ
午前11時02分に長崎に原子力爆弾が落とされた69年前の8月9日。戦争と言う国同士の戦いは詰まるところ、敵国民のミナゴロシ。
兵隊同士の戦いではなく、子ども達の頭上に原爆は落とされ、地上の全てを容赦なく爆風と熱線と放射能で焼き払った。
同じ年に同じ月に3日と空けずに大量殺戮。
武器を持たない子どもや老人達非戦闘員は65%。
長崎24万人の62%が死傷した。
かろうじて戦争を生き抜いた、その子ども達が大人に成ってまた、戦争を始める愚かさ。
命を脅かされずに昨日と同じ様に今日を迎えることに感謝を。そして、そう遠くない昔に大量に殺されていった無辜の民に祈りを。
今日8月6日は広島に原子力爆弾が落とされた日。この日は例年陽射しの熱い一日だけど、今年は雨。
原発事故は収束せず、悪化の一途を辿り、世界中でおこる紛争では子どもをはじめとする市民の犠牲が絶えない。過ちは繰り返さないと誓ってからまだ、69年しか経っていないのに。
8時15分に祈ろう。
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014080502000071.html
2014/8/9 ナガサキ
午前11時02分に長崎に原子力爆弾が落とされた69年前の8月9日。戦争と言う国同士の戦いは詰まるところ、敵国民のミナゴロシ。
兵隊同士の戦いではなく、子ども達の頭上に原爆は落とされ、地上の全てを容赦なく爆風と熱線と放射能で焼き払った。
同じ年に同じ月に3日と空けずに大量殺戮。
武器を持たない子どもや老人達非戦闘員は65%。
長崎24万人の62%が死傷した。
かろうじて戦争を生き抜いた、その子ども達が大人に成ってまた、戦争を始める愚かさ。
命を脅かされずに昨日と同じ様に今日を迎えることに感謝を。そして、そう遠くない昔に大量に殺されていった無辜の民に祈りを。
2014年06月23日
希望をつなぐ物語
今日6月23日は「サダコ」・虹基金の創設者であり『想い出のサダコ』の著者、大倉記代さんの命日です。
昨日は、声優を目指す学生さんによる『想い出のサダコの』のリーディングライブが東京の後楽園の近くにある尚美ミュージックカレッジのスタジオブーカで開催されました。
この専門学校の声優学科の講師であられる滝沢ロコ先生が中心になって、2011年の東日本大震災以来、毎年開催されてます。
滝沢先生が『想い出のサダコ』を最初に朗読されたのは、2007年の「想い出のサダコ原画展」が最初ではないでしょうか。会場にいらっしゃった大倉記代さんと来場者の前で、一人舞台の朗読劇がとても好評だったのを憶えています。
その場で滝沢先生は大倉さんにこの物語を語り継いでいく、と約束されていました。
以来2010年まで、毎年この時期に自身の運営する「ロコ企画」で朗読劇をされていました。
「サダコ」・虹基金とジムネットの共同企画で肥田舜太郎先生の講演と一緒に開催されたこともありました。
継続して語り継がれるこの物語は、今、若者たちの手でその輝きを増しています。
古い白黒写真の中のサダコちゃんの物語。それが若い人たちの瑞々しい感性で彩りをともない現代に甦ってきています。
あの思春期の入り口で理不尽に希望も命も絶たれた無念。
でもこの物語は悲劇ではありません。こうして次の世代へ語られることにより、未来への希望に変わっていきます。大切なのは語り継ぐこと。
この物語が語り継がれなくなり、戦争や原子力爆弾の悲惨さを忘れてしまうことこそ、本当の悲劇といえます。
今日6月23日は大倉記代さんの祥月命日。
黙祷
昨日は、声優を目指す学生さんによる『想い出のサダコの』のリーディングライブが東京の後楽園の近くにある尚美ミュージックカレッジのスタジオブーカで開催されました。
この専門学校の声優学科の講師であられる滝沢ロコ先生が中心になって、2011年の東日本大震災以来、毎年開催されてます。
滝沢先生が『想い出のサダコ』を最初に朗読されたのは、2007年の「想い出のサダコ原画展」が最初ではないでしょうか。会場にいらっしゃった大倉記代さんと来場者の前で、一人舞台の朗読劇がとても好評だったのを憶えています。
その場で滝沢先生は大倉さんにこの物語を語り継いでいく、と約束されていました。
以来2010年まで、毎年この時期に自身の運営する「ロコ企画」で朗読劇をされていました。
「サダコ」・虹基金とジムネットの共同企画で肥田舜太郎先生の講演と一緒に開催されたこともありました。
継続して語り継がれるこの物語は、今、若者たちの手でその輝きを増しています。
古い白黒写真の中のサダコちゃんの物語。それが若い人たちの瑞々しい感性で彩りをともない現代に甦ってきています。
あの思春期の入り口で理不尽に希望も命も絶たれた無念。
でもこの物語は悲劇ではありません。こうして次の世代へ語られることにより、未来への希望に変わっていきます。大切なのは語り継ぐこと。
この物語が語り継がれなくなり、戦争や原子力爆弾の悲惨さを忘れてしまうことこそ、本当の悲劇といえます。
今日6月23日は大倉記代さんの祥月命日。
黙祷
2013年10月25日
祥月命日
今日、10月25日は広島の原爆の子の像のモデル佐々木禎子さんの祥月命日です。
天国で不穏な動きの日本を憂いているかもしれませんね。核のない未来を実現するために、あなたの強い想いを繋いで行きます。
天国で不穏な動きの日本を憂いているかもしれませんね。核のない未来を実現するために、あなたの強い想いを繋いで行きます。
2013年06月23日
祥月命日に祈りを
今日は大倉記代さんの祥月命日です。
いま世界では、大倉さんのかつての懸念通り、たくさんの無垢で幼い命が危険にさらされています。
それは、経済戦争という形でささやかに暮らす人たちをも巻き込んでいます。
実際の戦闘だけでなく、利益優先で安全を軽視した原発災害や、社会不安を増進させる私物化政治も命を危険にさらす醜い戦争です。
犠牲になるのはいつも弱いもの。特に子どもたちは、自分たちの未来をも奪われています。
平和活動にいそしむ大倉さんの横顔を思い出します。
子どもたちを満面の笑みで迎え入れ……でも、その後ふっと寂しそうな翳がよぎる……
原子力利用の爆弾で身体にも心にも大きな痛手を負っていた大倉さん。
彼女が大人になって、戦争を引き起こしたかつての大人たちや、それを止められなかった無力な大人たち、すべての大人たちの無責任を知った時にどんな言い訳をしても許せないものがあったでしょう。
それがいつも厳しい横顔を見せる大倉さんの心にのしかかっていたことでしょう。
今、とても危険なことが進行しています。
一つは原子力災害とそれをめぐる一連の利益を貪る大人たちの保身と貪欲。
また、もう一つは私物化された政治による、積み上げてきた社会保障の棄損や、憲法という国民を守る最後の砦に、穴をあけ続ける自民党員をはじめとする政治家、官僚、経済団体構成員、そして資本家たちの子どもたち、未来、そして地球への無責任。
今も戦争の足音が聞こえています。だんだん大きく。
平和は状態を示す言葉。
平和な状態を守るために、社会の均衡を崩さず、人命を尊重し、自然環境を壊さないことが大切だと、破壊されてみて気づきます。
「平和は状態」これを実現するには、まず政治を監視することです。憲法を持って国民が国民の為に働くべき政治家と官僚を、私物化しないように不正をしないように監視していかなければなりません。憲法を携えて ― 大倉さんも言ってましたね、憲法、とくに9条の大切さを。
平和な状態を維持できる大きな力は国であって、その行先を決める政治というシステムには、平和を強く願う人ほどかかわりを持たなければならないと気付きます。
大倉さん。命日にこんなことを書くことを許してほしい。
本当は、子どもたちのことは心配しないで、安らかに眠って下さいと言いたいのに…ただ怒りだけを伝えてしまったことを…
今は祈り、そして行動します。過ちは二度と繰り返しませんから。
いま世界では、大倉さんのかつての懸念通り、たくさんの無垢で幼い命が危険にさらされています。
それは、経済戦争という形でささやかに暮らす人たちをも巻き込んでいます。
実際の戦闘だけでなく、利益優先で安全を軽視した原発災害や、社会不安を増進させる私物化政治も命を危険にさらす醜い戦争です。
犠牲になるのはいつも弱いもの。特に子どもたちは、自分たちの未来をも奪われています。
平和活動にいそしむ大倉さんの横顔を思い出します。
子どもたちを満面の笑みで迎え入れ……でも、その後ふっと寂しそうな翳がよぎる……
原子力利用の爆弾で身体にも心にも大きな痛手を負っていた大倉さん。
彼女が大人になって、戦争を引き起こしたかつての大人たちや、それを止められなかった無力な大人たち、すべての大人たちの無責任を知った時にどんな言い訳をしても許せないものがあったでしょう。
それがいつも厳しい横顔を見せる大倉さんの心にのしかかっていたことでしょう。
今、とても危険なことが進行しています。
一つは原子力災害とそれをめぐる一連の利益を貪る大人たちの保身と貪欲。
また、もう一つは私物化された政治による、積み上げてきた社会保障の棄損や、憲法という国民を守る最後の砦に、穴をあけ続ける自民党員をはじめとする政治家、官僚、経済団体構成員、そして資本家たちの子どもたち、未来、そして地球への無責任。
今も戦争の足音が聞こえています。だんだん大きく。
平和は状態を示す言葉。
平和な状態を守るために、社会の均衡を崩さず、人命を尊重し、自然環境を壊さないことが大切だと、破壊されてみて気づきます。
「平和は状態」これを実現するには、まず政治を監視することです。憲法を持って国民が国民の為に働くべき政治家と官僚を、私物化しないように不正をしないように監視していかなければなりません。憲法を携えて ― 大倉さんも言ってましたね、憲法、とくに9条の大切さを。
平和な状態を維持できる大きな力は国であって、その行先を決める政治というシステムには、平和を強く願う人ほどかかわりを持たなければならないと気付きます。
大倉さん。命日にこんなことを書くことを許してほしい。
本当は、子どもたちのことは心配しないで、安らかに眠って下さいと言いたいのに…ただ怒りだけを伝えてしまったことを…
今は祈り、そして行動します。過ちは二度と繰り返しませんから。

2012年08月04日
ひろしま、ながさきへ
2012年06月23日
見守る人たちがいる。

戦時中、広島で被爆した大倉さんは核兵器の悲惨さを身を以て知っていました。
晩年にガンが発病後、原爆の子の像・佐々木禎子ちゃんとの想い出を『想い出のサダコ』(よも出版刊)に著してからも、核兵器廃絶と湾岸戦争の劣化ウラン弾使用が原因とされる、イラクの小児ガンの子どもたちの支援のために最期までがんばっていらっしゃいました。
そんな大倉さんは今の日本をみてどう思っているでしょうか?
広島、長崎に続きカタカナで呼ばれるようになってしまった核汚染の被曝地フクシマ。
被曝の引き金は戦争ではなかったけれど、原子力ムラにかかわる闇が少しずつ暴かれるにつれ、戦争と同種の権力者たちの醜悪な態度の最悪の結果がここまでの被害を引き起こしました。そしてこの被害は今も拡散中です。
昨日は官邸前に4万5000人の一般人が抗議に駆けつけました。
みんなの願いは一つ。「危険なシステムに推進される原発の再稼働はありえない。」
これだけの被害が進行中で、過去にも2度の悲劇を繰り返して置きながら、同朋の死を踏みにじる東電原発事件の取り調べもついていない中での安全宣言。
大義なく「経済」という誰かの都合を守るために無垢の人々の生活や命が犠牲になる。
戦時下のようなこんな状況は許されません。
戦争を生き抜いて最後まで平和を追い求めた大倉さんの遺志を引き継ぐためにも、私たちが手を取り合って頑張っていかなければなりません。
皆様、これからもよろしくお願いします。
そして、大倉さん 天から見守っていてください。