
戦時中、広島で被爆した大倉さんは核兵器の悲惨さを身を以て知っていました。
晩年にガンが発病後、原爆の子の像・佐々木禎子ちゃんとの想い出を『想い出のサダコ』(よも出版刊)に著してからも、核兵器廃絶と湾岸戦争の劣化ウラン弾使用が原因とされる、イラクの小児ガンの子どもたちの支援のために最期までがんばっていらっしゃいました。
そんな大倉さんは今の日本をみてどう思っているでしょうか?
広島、長崎に続きカタカナで呼ばれるようになってしまった核汚染の被曝地フクシマ。
被曝の引き金は戦争ではなかったけれど、原子力ムラにかかわる闇が少しずつ暴かれるにつれ、戦争と同種の権力者たちの醜悪な態度の最悪の結果がここまでの被害を引き起こしました。そしてこの被害は今も拡散中です。
昨日は官邸前に4万5000人の一般人が抗議に駆けつけました。
みんなの願いは一つ。「危険なシステムに推進される原発の再稼働はありえない。」
これだけの被害が進行中で、過去にも2度の悲劇を繰り返して置きながら、同朋の死を踏みにじる東電原発事件の取り調べもついていない中での安全宣言。
大義なく「経済」という誰かの都合を守るために無垢の人々の生活や命が犠牲になる。
戦時下のようなこんな状況は許されません。
戦争を生き抜いて最後まで平和を追い求めた大倉さんの遺志を引き継ぐためにも、私たちが手を取り合って頑張っていかなければなりません。
皆様、これからもよろしくお願いします。
そして、大倉さん 天から見守っていてください。