6月23日はサダコ虹基金設立者の大倉記代さんの祥月命日。今から9年前の2008年に平和への想いを残して旅立たれました。
大倉さんが亡くなられ、2011年にこのブログを開設してから毎年6月23日は大倉記代さんの命日ですと、くりかえし記事にしてきました。
大倉記代さんの命日から9年、ブログ開設から6年後の今日6月23日に至るまで、世界中で大変なことが沢山ありました。そして年を追うごとに政治をはじめ様々な破たんが目の前に現れてきています。
人の命を脅かす天災に人災、愚かにも繰り返すテロや戦争。
人間の英知をもって回避しなければならないそれらの災厄に対処するために微力な私たちは何ができるのでしょうか。
東日本大震災以来、ネットの情報を通したネット民同志の繋がりは確実に強固になって来ました。
テレビや新聞だけの情報に操作されるB層と呼ばれる愚民とは一線を隔し、情報を共有するだけでなくデモをはじめ色々なかたちで実際の行動につながるようになってきました。
それでも、まだまだ既得権益を持つ権力者たちは目の前に立ちはだかっています。
そんな折り、情報を共有するネットワークの中で6月23日にあちこちで目につくのが沖縄戦終結の日という事実でした。
(沖縄では県の条例で慰霊のための公休日となっています。
また、糸満市の平和祈念公園では毎年、沖縄全戦没者追悼式が行なわれています。)
歴史を知り、過去の過ちに学ぶきっかけはとても大切なことです。
今までこの大切な慰霊の日をあまり意識せずに過ごしてきてしまったことを恥じるとともに、これからは6月23日は大倉記代さんの祥月命日であると同時に、沖縄戦の終結の日、20万人に及ぶ人々の戦争による犠牲があった慰霊の日だと深く心に刻みつけて行かなければと思いました。
慰霊の日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E9%9C%8A%E3%81%AE%E6%97%A5
2017年06月23日
2016年08月06日
平和への誓い、伝え続ける。
8月6日の広島であった無差別大量殺戮。
今年も、平和への誓いを二人の小学生が立派に宣言しました。
サダコ・虹基金からは小学四年生の女の子が代表して広島を訪問します。
忘れてはいけない歴史上の事実を語り継いで行くために、私達もその事実を正確に知る努力を怠らない様にしたいです。
今年も、平和への誓いを二人の小学生が立派に宣言しました。
サダコ・虹基金からは小学四年生の女の子が代表して広島を訪問します。
忘れてはいけない歴史上の事実を語り継いで行くために、私達もその事実を正確に知る努力を怠らない様にしたいです。
2016年06月24日
23日 大倉記代さんの命日
23日の昨日が「サダコ」・虹基金の創設者である大倉記代さんの命日でした。
伊豆大島へ墓参に行ったのはもう数年前の昔のことになりました。
その当時と比べ、今は坂道を転がるように、この日本は勢いを増してどこかへ転がり落ちていく感が否めません。
7月10日に参議院選挙があります。
少しでも良くなるよう、大倉さんの思いと共に大切な一票を投じたいです。
伊豆大島へ墓参に行ったのはもう数年前の昔のことになりました。
その当時と比べ、今は坂道を転がるように、この日本は勢いを増してどこかへ転がり落ちていく感が否めません。
7月10日に参議院選挙があります。
少しでも良くなるよう、大倉さんの思いと共に大切な一票を投じたいです。
2015年06月24日
6/23日は大倉記代さんの命日
2014年08月14日
8月6日、9日の原爆忌に投稿したメッセージです。
2014/8/6 ヒロシマ
今日8月6日は広島に原子力爆弾が落とされた日。この日は例年陽射しの熱い一日だけど、今年は雨。
原発事故は収束せず、悪化の一途を辿り、世界中でおこる紛争では子どもをはじめとする市民の犠牲が絶えない。過ちは繰り返さないと誓ってからまだ、69年しか経っていないのに。
8時15分に祈ろう。
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014080502000071.html
2014/8/9 ナガサキ
午前11時02分に長崎に原子力爆弾が落とされた69年前の8月9日。戦争と言う国同士の戦いは詰まるところ、敵国民のミナゴロシ。
兵隊同士の戦いではなく、子ども達の頭上に原爆は落とされ、地上の全てを容赦なく爆風と熱線と放射能で焼き払った。
同じ年に同じ月に3日と空けずに大量殺戮。
武器を持たない子どもや老人達非戦闘員は65%。
長崎24万人の62%が死傷した。
かろうじて戦争を生き抜いた、その子ども達が大人に成ってまた、戦争を始める愚かさ。
命を脅かされずに昨日と同じ様に今日を迎えることに感謝を。そして、そう遠くない昔に大量に殺されていった無辜の民に祈りを。
今日8月6日は広島に原子力爆弾が落とされた日。この日は例年陽射しの熱い一日だけど、今年は雨。
原発事故は収束せず、悪化の一途を辿り、世界中でおこる紛争では子どもをはじめとする市民の犠牲が絶えない。過ちは繰り返さないと誓ってからまだ、69年しか経っていないのに。
8時15分に祈ろう。
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014080502000071.html
2014/8/9 ナガサキ
午前11時02分に長崎に原子力爆弾が落とされた69年前の8月9日。戦争と言う国同士の戦いは詰まるところ、敵国民のミナゴロシ。
兵隊同士の戦いではなく、子ども達の頭上に原爆は落とされ、地上の全てを容赦なく爆風と熱線と放射能で焼き払った。
同じ年に同じ月に3日と空けずに大量殺戮。
武器を持たない子どもや老人達非戦闘員は65%。
長崎24万人の62%が死傷した。
かろうじて戦争を生き抜いた、その子ども達が大人に成ってまた、戦争を始める愚かさ。
命を脅かされずに昨日と同じ様に今日を迎えることに感謝を。そして、そう遠くない昔に大量に殺されていった無辜の民に祈りを。
2014年06月23日
希望をつなぐ物語
今日6月23日は「サダコ」・虹基金の創設者であり『想い出のサダコ』の著者、大倉記代さんの命日です。
昨日は、声優を目指す学生さんによる『想い出のサダコの』のリーディングライブが東京の後楽園の近くにある尚美ミュージックカレッジのスタジオブーカで開催されました。
この専門学校の声優学科の講師であられる滝沢ロコ先生が中心になって、2011年の東日本大震災以来、毎年開催されてます。
滝沢先生が『想い出のサダコ』を最初に朗読されたのは、2007年の「想い出のサダコ原画展」が最初ではないでしょうか。会場にいらっしゃった大倉記代さんと来場者の前で、一人舞台の朗読劇がとても好評だったのを憶えています。
その場で滝沢先生は大倉さんにこの物語を語り継いでいく、と約束されていました。
以来2010年まで、毎年この時期に自身の運営する「ロコ企画」で朗読劇をされていました。
「サダコ」・虹基金とジムネットの共同企画で肥田舜太郎先生の講演と一緒に開催されたこともありました。
継続して語り継がれるこの物語は、今、若者たちの手でその輝きを増しています。
古い白黒写真の中のサダコちゃんの物語。それが若い人たちの瑞々しい感性で彩りをともない現代に甦ってきています。
あの思春期の入り口で理不尽に希望も命も絶たれた無念。
でもこの物語は悲劇ではありません。こうして次の世代へ語られることにより、未来への希望に変わっていきます。大切なのは語り継ぐこと。
この物語が語り継がれなくなり、戦争や原子力爆弾の悲惨さを忘れてしまうことこそ、本当の悲劇といえます。
今日6月23日は大倉記代さんの祥月命日。
黙祷
昨日は、声優を目指す学生さんによる『想い出のサダコの』のリーディングライブが東京の後楽園の近くにある尚美ミュージックカレッジのスタジオブーカで開催されました。
この専門学校の声優学科の講師であられる滝沢ロコ先生が中心になって、2011年の東日本大震災以来、毎年開催されてます。
滝沢先生が『想い出のサダコ』を最初に朗読されたのは、2007年の「想い出のサダコ原画展」が最初ではないでしょうか。会場にいらっしゃった大倉記代さんと来場者の前で、一人舞台の朗読劇がとても好評だったのを憶えています。
その場で滝沢先生は大倉さんにこの物語を語り継いでいく、と約束されていました。
以来2010年まで、毎年この時期に自身の運営する「ロコ企画」で朗読劇をされていました。
「サダコ」・虹基金とジムネットの共同企画で肥田舜太郎先生の講演と一緒に開催されたこともありました。
継続して語り継がれるこの物語は、今、若者たちの手でその輝きを増しています。
古い白黒写真の中のサダコちゃんの物語。それが若い人たちの瑞々しい感性で彩りをともない現代に甦ってきています。
あの思春期の入り口で理不尽に希望も命も絶たれた無念。
でもこの物語は悲劇ではありません。こうして次の世代へ語られることにより、未来への希望に変わっていきます。大切なのは語り継ぐこと。
この物語が語り継がれなくなり、戦争や原子力爆弾の悲惨さを忘れてしまうことこそ、本当の悲劇といえます。
今日6月23日は大倉記代さんの祥月命日。
黙祷
2013年10月25日
祥月命日
今日、10月25日は広島の原爆の子の像のモデル佐々木禎子さんの祥月命日です。
天国で不穏な動きの日本を憂いているかもしれませんね。核のない未来を実現するために、あなたの強い想いを繋いで行きます。
天国で不穏な動きの日本を憂いているかもしれませんね。核のない未来を実現するために、あなたの強い想いを繋いで行きます。
2013年06月23日
祥月命日に祈りを
今日は大倉記代さんの祥月命日です。
いま世界では、大倉さんのかつての懸念通り、たくさんの無垢で幼い命が危険にさらされています。
それは、経済戦争という形でささやかに暮らす人たちをも巻き込んでいます。
実際の戦闘だけでなく、利益優先で安全を軽視した原発災害や、社会不安を増進させる私物化政治も命を危険にさらす醜い戦争です。
犠牲になるのはいつも弱いもの。特に子どもたちは、自分たちの未来をも奪われています。
平和活動にいそしむ大倉さんの横顔を思い出します。
子どもたちを満面の笑みで迎え入れ……でも、その後ふっと寂しそうな翳がよぎる……
原子力利用の爆弾で身体にも心にも大きな痛手を負っていた大倉さん。
彼女が大人になって、戦争を引き起こしたかつての大人たちや、それを止められなかった無力な大人たち、すべての大人たちの無責任を知った時にどんな言い訳をしても許せないものがあったでしょう。
それがいつも厳しい横顔を見せる大倉さんの心にのしかかっていたことでしょう。
今、とても危険なことが進行しています。
一つは原子力災害とそれをめぐる一連の利益を貪る大人たちの保身と貪欲。
また、もう一つは私物化された政治による、積み上げてきた社会保障の棄損や、憲法という国民を守る最後の砦に、穴をあけ続ける自民党員をはじめとする政治家、官僚、経済団体構成員、そして資本家たちの子どもたち、未来、そして地球への無責任。
今も戦争の足音が聞こえています。だんだん大きく。
平和は状態を示す言葉。
平和な状態を守るために、社会の均衡を崩さず、人命を尊重し、自然環境を壊さないことが大切だと、破壊されてみて気づきます。
「平和は状態」これを実現するには、まず政治を監視することです。憲法を持って国民が国民の為に働くべき政治家と官僚を、私物化しないように不正をしないように監視していかなければなりません。憲法を携えて ― 大倉さんも言ってましたね、憲法、とくに9条の大切さを。
平和な状態を維持できる大きな力は国であって、その行先を決める政治というシステムには、平和を強く願う人ほどかかわりを持たなければならないと気付きます。
大倉さん。命日にこんなことを書くことを許してほしい。
本当は、子どもたちのことは心配しないで、安らかに眠って下さいと言いたいのに…ただ怒りだけを伝えてしまったことを…
今は祈り、そして行動します。過ちは二度と繰り返しませんから。
いま世界では、大倉さんのかつての懸念通り、たくさんの無垢で幼い命が危険にさらされています。
それは、経済戦争という形でささやかに暮らす人たちをも巻き込んでいます。
実際の戦闘だけでなく、利益優先で安全を軽視した原発災害や、社会不安を増進させる私物化政治も命を危険にさらす醜い戦争です。
犠牲になるのはいつも弱いもの。特に子どもたちは、自分たちの未来をも奪われています。
平和活動にいそしむ大倉さんの横顔を思い出します。
子どもたちを満面の笑みで迎え入れ……でも、その後ふっと寂しそうな翳がよぎる……
原子力利用の爆弾で身体にも心にも大きな痛手を負っていた大倉さん。
彼女が大人になって、戦争を引き起こしたかつての大人たちや、それを止められなかった無力な大人たち、すべての大人たちの無責任を知った時にどんな言い訳をしても許せないものがあったでしょう。
それがいつも厳しい横顔を見せる大倉さんの心にのしかかっていたことでしょう。
今、とても危険なことが進行しています。
一つは原子力災害とそれをめぐる一連の利益を貪る大人たちの保身と貪欲。
また、もう一つは私物化された政治による、積み上げてきた社会保障の棄損や、憲法という国民を守る最後の砦に、穴をあけ続ける自民党員をはじめとする政治家、官僚、経済団体構成員、そして資本家たちの子どもたち、未来、そして地球への無責任。
今も戦争の足音が聞こえています。だんだん大きく。
平和は状態を示す言葉。
平和な状態を守るために、社会の均衡を崩さず、人命を尊重し、自然環境を壊さないことが大切だと、破壊されてみて気づきます。
「平和は状態」これを実現するには、まず政治を監視することです。憲法を持って国民が国民の為に働くべき政治家と官僚を、私物化しないように不正をしないように監視していかなければなりません。憲法を携えて ― 大倉さんも言ってましたね、憲法、とくに9条の大切さを。
平和な状態を維持できる大きな力は国であって、その行先を決める政治というシステムには、平和を強く願う人ほどかかわりを持たなければならないと気付きます。
大倉さん。命日にこんなことを書くことを許してほしい。
本当は、子どもたちのことは心配しないで、安らかに眠って下さいと言いたいのに…ただ怒りだけを伝えてしまったことを…
今は祈り、そして行動します。過ちは二度と繰り返しませんから。

2012年08月04日
ひろしま、ながさきへ
2012年06月23日
見守る人たちがいる。

戦時中、広島で被爆した大倉さんは核兵器の悲惨さを身を以て知っていました。
晩年にガンが発病後、原爆の子の像・佐々木禎子ちゃんとの想い出を『想い出のサダコ』(よも出版刊)に著してからも、核兵器廃絶と湾岸戦争の劣化ウラン弾使用が原因とされる、イラクの小児ガンの子どもたちの支援のために最期までがんばっていらっしゃいました。
そんな大倉さんは今の日本をみてどう思っているでしょうか?
広島、長崎に続きカタカナで呼ばれるようになってしまった核汚染の被曝地フクシマ。
被曝の引き金は戦争ではなかったけれど、原子力ムラにかかわる闇が少しずつ暴かれるにつれ、戦争と同種の権力者たちの醜悪な態度の最悪の結果がここまでの被害を引き起こしました。そしてこの被害は今も拡散中です。
昨日は官邸前に4万5000人の一般人が抗議に駆けつけました。
みんなの願いは一つ。「危険なシステムに推進される原発の再稼働はありえない。」
これだけの被害が進行中で、過去にも2度の悲劇を繰り返して置きながら、同朋の死を踏みにじる東電原発事件の取り調べもついていない中での安全宣言。
大義なく「経済」という誰かの都合を守るために無垢の人々の生活や命が犠牲になる。
戦時下のようなこんな状況は許されません。
戦争を生き抜いて最後まで平和を追い求めた大倉さんの遺志を引き継ぐためにも、私たちが手を取り合って頑張っていかなければなりません。
皆様、これからもよろしくお願いします。
そして、大倉さん 天から見守っていてください。
2012年05月07日
参加費無料:上映会&鎌仲ひとみ監督トークin福島(6/8、6/9日開催)

*福島と郡山では上映作品が異なります。
6/8(金)in福島:●『内部被ばくを生き抜く』上映会&鎌仲ひとみ監督トーク
http://www.jim-net.net/news/info/2012/05/68.php
日時:2012年6月8日(金)(第1回:13:30−16:00、第2回:18:30−21:00)
※上映後に鎌仲監督と意見交流会を行います。
会場:ふくしまNGO協働スペース http://p.tl/Ja29-〒960-8031福島市堺町6−5 南條ビルA-3階(福島駅東口ロータリー向かい。グリーンホテル福島館隣り)
参加費:無料
問い合わせ:070-5527-7335(JIM-NET小松)
主催:JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)
協賛:アースデイ福島
---------------------------

*福島と郡山では上映作品が異なります。
6/9(土) in郡山:
●第二回 福島百年未来塾『ミツバチの羽音と地球の回転』上映会&鎌仲ひとみ監督トーク
http://www.jim-net.net/news/report/2012/05/post-249.php
日時:2012年6月9日(土)13:00〜16:30 【参加費:無料】
場所:郡山市民プラザ・ビッグアイ大会議室(郡山駅すぐ)福島県郡山市駅前2-11-1
お問い合わせ:http://www.apla.jp/inquiry(お申込みはこちらから)
参加費:無料
主催:JAみちのく安達二本松有機農業研究会/APLA
協力:JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)
2012年04月21日
五月五日の幟旗
大きな太陽に照らされて、青い空に悠々と鯉幟が泳いでいます。
東日本大震災から一年以上が過ぎ、昨年は落ち着く暇もなかったこの「こどもの日」。今年はそれぞれが子どもたちの未来に想いを馳せて迎えることになりそうです。
原爆と同じ核を利用した原発が悲惨な大事故を起こし、その収束も遅々として進まないまま、拙速に止まっていた他の原発を再稼動させる動きがあります。
それに対し、日本各地で「安心に、普通に暮らしたい」だけの私たちが街に出て、幟旗をもって生まれて初めてデモというものに参加したりしています。
鯉幟ではなく脱原発のプラカードや幟旗を掲げ、子どもたちを守るために、そして子どもたちの未来を守るためにと立ち上がっているのです。
5月5日は幸いにして、日本中に配置された54基全ての原子力発電所がいったん休止します。
この日を祝い、原発が日本列島からなくなることを願って「原発ゼロの記念日」としようと提案している方がいらっしゃいます。
インターネット上のツイッターでつぶやかれた、音楽評論で作詞家の湯川れい子さんの提案をここに紹介します。
「五月五日、こどもの日を祝って、この日を原発ゼロの記念日としましょう。世界中で何処も、まだ核廃棄物と、核兵器の脅威から解き放たれている国はありません。日本もまだ目が眩むほど行き先は困難だけど、せめて理想の灯を高く掲げて生きましょう!日本人ならきっと出来る。そう信じていたいから。」(ツイッターアカウント@yukawareikoより引用)
また、この日には「サダコ」・虹基金創設者・大倉記代さんの著書を置いてくださっている原爆の図丸木美術館で太陽光発電設置に向けた新たな取り組みを公式発表するそうです。過去原発による発電分の電気料の支払いを拒否し、東電に電気を止められたこともある丸木美術館は原爆と原発は同じであることを一貫して主張しています。核兵器、核発電を地球から一掃することが出来るまで、私たちは生きていることが出来ないくらい気の長いことですが、小さな一歩でも踏み出す勇気を見習いたいものです。
また、当日は開館45周年記念のため、田中優さんの講演と、 「サダコ」・虹基金が傘下団体としていつもお世話になっているジムネットのスタッフにしてピアニストの大嶋愛さんの核廃絶の祈りを込めたピアノ弾き語りコンサートも開催される予定です。
お時間のある方は是非お出かけください!!
詳細は丸木美術館ホームページをご覧ください。http://www.aya.or.jp/~marukimsn/index.htm
2011年12月31日
2011年が過ぎて行く
2011年も残すところ数時間。
幼少の頃は新年が来ることや、過ぎ去る大晦日の最後の瞬間をワクワクしながら大事にしていて、
それはそれで暦に忠実だったものだ。
人が生きていくうえで、今日が大晦日だろうが明日が新年だろうが、特別無くても不自由しないと思う人もいるだろう。
新年を静かに過ごすほどの余裕はなく、三が日も仕事に出かける人は多い。
お寺の隣に住んでいる人が、明日は仕事が早いから寝れないと、除夜の鐘に文句を言ったりする昨今、
その人が悪いというよりは、世間の常識は今や一様でなく、美醜も善悪も命の軽重さえも人それぞれに許された価値観の自由ということか。
それにしても2011年は様々なことが起こった。
楽しく幸せなことより、不幸で酷いことのほうが人々の記憶には残る。
年末によく今年の10大ニュースを取り上げるが、今年のニュースは現在も進行していて解決のついていない重く苦しいニュースが多かった。
海外では国家制度や支配体制が崩壊し独裁者が殺されたり死んだりした。また内戦や他国による軍事介入で人心も国土も荒廃していった。
凶悪事件はどの国でも似たような事件が起こり、国境も国柄も超えた共通の醜悪な犯罪が見られた。
貧困や疫病があまねく国々を覆い、自然災害は立て続けに各地で起こりその規模も大きく頻繁になっていった。
また、終末思想ではないけれど、もうダメかも知れないなぁ、なんて思わせたのが今回日本で起こった原発事故で露呈した企業や政治家、官僚、学者、マスコミによる隠ぺいや不誠実な態度を目の当たりにしたことによる失望感だ。
ガンバロウ!もみんなの絆!もズタズタにするくらい怠慢で傲慢な態度をとる彼らに義憤をおぼえ「天誅」という言葉が頭をよぎった人も多いと思う。
大変な時はみんなで助け合わなければならないのに、今まで信頼していたそれらのいわゆるプロであり専門家であるはずの人たちはてんであてにならず、余っているわけでもない財布と時間から、寄付をしボランティアをして心と懐を痛め続けた私たち庶民が結局いろいろ心配をし、後始末をさせられる羽目になった。
国民が健全に生き、国土が美しく保たれていてこその国家であるはずなのに、国民を見殺しに国土を汚染し続けながら、見えない「日本国」というもののために金をつぎ込み続ける政治家と官僚とそれに群がるダニのような人たちのために税金は上がり社会保障は削られる。
もう、泣きっ面に蜂ならぬ蝮くらいのダメージを受けている。
夏頃までは原発事故による放射性物質漏出の危険を憂えて、自分なりにブログを更新したが、ここ数か月はもう失望して更新する気力を失ってしまっていた。
そんな、状況だったがここは一つ気を取り直して、昔のように新年を前に「来年こそは」と希望を持って望んで行こう!!
自衛隊や警察、消防の決死の献身には職業意識を超えた純粋さがあったんだ。その姿がどれだけ私たちに力をくれたか思い出したよ。
カラ元気でも無いよりましだ。
「日本」を自分たちの手に取り戻すためにガンバロウ日本の私たち!
それでは皆様、来年もよろしくお願いします。

(日の丸はもう戦争のためのアイテムではない。私たちの国に新しい太陽が輝くために掲げます。)
幼少の頃は新年が来ることや、過ぎ去る大晦日の最後の瞬間をワクワクしながら大事にしていて、
それはそれで暦に忠実だったものだ。
人が生きていくうえで、今日が大晦日だろうが明日が新年だろうが、特別無くても不自由しないと思う人もいるだろう。
新年を静かに過ごすほどの余裕はなく、三が日も仕事に出かける人は多い。
お寺の隣に住んでいる人が、明日は仕事が早いから寝れないと、除夜の鐘に文句を言ったりする昨今、
その人が悪いというよりは、世間の常識は今や一様でなく、美醜も善悪も命の軽重さえも人それぞれに許された価値観の自由ということか。
それにしても2011年は様々なことが起こった。
楽しく幸せなことより、不幸で酷いことのほうが人々の記憶には残る。
年末によく今年の10大ニュースを取り上げるが、今年のニュースは現在も進行していて解決のついていない重く苦しいニュースが多かった。
海外では国家制度や支配体制が崩壊し独裁者が殺されたり死んだりした。また内戦や他国による軍事介入で人心も国土も荒廃していった。
凶悪事件はどの国でも似たような事件が起こり、国境も国柄も超えた共通の醜悪な犯罪が見られた。
貧困や疫病があまねく国々を覆い、自然災害は立て続けに各地で起こりその規模も大きく頻繁になっていった。
また、終末思想ではないけれど、もうダメかも知れないなぁ、なんて思わせたのが今回日本で起こった原発事故で露呈した企業や政治家、官僚、学者、マスコミによる隠ぺいや不誠実な態度を目の当たりにしたことによる失望感だ。
ガンバロウ!もみんなの絆!もズタズタにするくらい怠慢で傲慢な態度をとる彼らに義憤をおぼえ「天誅」という言葉が頭をよぎった人も多いと思う。
大変な時はみんなで助け合わなければならないのに、今まで信頼していたそれらのいわゆるプロであり専門家であるはずの人たちはてんであてにならず、余っているわけでもない財布と時間から、寄付をしボランティアをして心と懐を痛め続けた私たち庶民が結局いろいろ心配をし、後始末をさせられる羽目になった。
国民が健全に生き、国土が美しく保たれていてこその国家であるはずなのに、国民を見殺しに国土を汚染し続けながら、見えない「日本国」というもののために金をつぎ込み続ける政治家と官僚とそれに群がるダニのような人たちのために税金は上がり社会保障は削られる。
もう、泣きっ面に蜂ならぬ蝮くらいのダメージを受けている。
夏頃までは原発事故による放射性物質漏出の危険を憂えて、自分なりにブログを更新したが、ここ数か月はもう失望して更新する気力を失ってしまっていた。
そんな、状況だったがここは一つ気を取り直して、昔のように新年を前に「来年こそは」と希望を持って望んで行こう!!
自衛隊や警察、消防の決死の献身には職業意識を超えた純粋さがあったんだ。その姿がどれだけ私たちに力をくれたか思い出したよ。
カラ元気でも無いよりましだ。
「日本」を自分たちの手に取り戻すためにガンバロウ日本の私たち!
それでは皆様、来年もよろしくお願いします。

(日の丸はもう戦争のためのアイテムではない。私たちの国に新しい太陽が輝くために掲げます。)
2011年11月02日
被爆者の声をうけつぐ映画祭2011
来る11月5日(土)、6日(日)に明大リバティータワー1階1011教室にて「被爆者の声をうけつぐ映画祭2011」が開催されます。

●プログラムの詳細は、以下でご覧になれます。
「被爆者の声をうけつぐ映画祭2011」お知らせ
→http://hikakueiga.exblog.jp/16442718/
2011年映画祭プログラム(1日目)11月5日(土)
→http://hikakueiga.exblog.jp/16442548/
2011年映画祭プログラム(2日目)11月6日(日)
→http://hikakueiga.exblog.jp/16442591/
また「被爆者の声をうけつぐ映画祭2011」では、東日本大震災で被災された方々をご招待することになりました。
ご希望の方は、メール又はファクスで、「映画祭 招待希望」と書いて、お申し込みください。
50名になり次第、締め切りとさせていただきます。
メッセージもお送り下さい。(137字まで)
●応募のしかた。
お名前
参加希望プログラム
ご希望枚数
ご出身地
明記して申し込み下さい。
●お申し込み先
email: martyin0821@gmail.com
Fax: 03-3205-8958 (ウィング・コア)
当選者の皆様にはメール又はファクスで、折り返し事務局よりご連絡いたします。
当日会場の受付カウンターにてお名前をお伝えいただき、プログラムを受け取ってご入場ください。
*写真は東京新聞記事より
●プログラムの詳細は、以下でご覧になれます。
「被爆者の声をうけつぐ映画祭2011」お知らせ
→http://hikakueiga.exblog.jp/16442718/
2011年映画祭プログラム(1日目)11月5日(土)
→http://hikakueiga.exblog.jp/16442548/
2011年映画祭プログラム(2日目)11月6日(日)
→http://hikakueiga.exblog.jp/16442591/
また「被爆者の声をうけつぐ映画祭2011」では、東日本大震災で被災された方々をご招待することになりました。
ご希望の方は、メール又はファクスで、「映画祭 招待希望」と書いて、お申し込みください。
50名になり次第、締め切りとさせていただきます。
メッセージもお送り下さい。(137字まで)
●応募のしかた。
お名前
参加希望プログラム
ご希望枚数
ご出身地
明記して申し込み下さい。
●お申し込み先
email: martyin0821@gmail.com
Fax: 03-3205-8958 (ウィング・コア)
当選者の皆様にはメール又はファクスで、折り返し事務局よりご連絡いたします。
当日会場の受付カウンターにてお名前をお伝えいただき、プログラムを受け取ってご入場ください。
*写真は東京新聞記事より
2011年08月15日
祈る日々

暦の上での挨拶は、もう残暑見舞いです。
気温はまだまだ暑いので皆様も熱中症にご注意ください。
去る8月6日、9日にそれぞれ広島、長崎で平和記念式典が執り行われました。
今年は特に原発事故の影響を受け、それぞれの市長が原子力の平和利用について言及しました。印象としては双方の市長に考え方の相違があったように思います。
同じ核反応の原理をつかった原爆と原発のシステム。
原子力爆弾と原子力発電は目的こそ違うけれど、自然界に存在しない、人体に猛毒な人工放射能を産み出す点では同じです。
平和式典の場で原発の今後に触れたのは当然のことと思います。
長崎の式典から6日後、8月15日の終戦記念日である今日まで放射能による不安が今も人々の心を曇らせ続けています。
福島をはじめ近隣諸県では実際に健康被害もでています。
セシウムが母乳や尿から検出されたことは、自然界に存在しない人工放射能を摂取させられたという点で、東電による業務上過失傷害事件では無いのかと考えます。また、避難地域に指定され立ち入りを禁止され保護を放棄された動物たちに対しては器物損壊罪(動物傷害罪)が成立するのではないでしょうか。
東京電力は敷地内の原子炉を収束するだけでなく、所有物である飛散した危険な放射性物質を一刻も早く回収していかなければならないと思います。タンカーから漏れた重油をそのままにはしておけないのと同じように、責任を持って所有者が回収しなければならないと思います。東京電力がやることはたくさんあります。
今後、この事故を検証し、国益、国民の生命と財産を損なった戦犯として名を残さないよう関係各位には責任を持ってことにあたってほしいと思います。
再び平和に暮らせるように……
敵国が無いのに戦時中のような過酷な生活を強いられている現況が一日も早く改善されるよう、終戦記念日の今日、私たちの平和な日々が戻るよう祈ります。
2011年08月05日
平和記念式典2011
2011年8月6日8時15分に黙祷をします。
過去の過ちを思いだすための、8月9日の長崎とともに一年でとても大切な日です。
広島、長崎での兵器として使用された核爆弾は人間によって投下され爆発し、その後何年にもわたる放射線障害に苦しむ人々を生み出し、老幼男女の区別無く永きに渡って人体への汚染を続けてきました。
今回の原発メルトスルー大惨事では、そういった過去の大惨事が経験として生かされていませんでした。
私たちは2度の被爆を経験した国の民としてはあまりにも人工放射能に対して乏しい知識しか持ち合わせていません。
海外の人々は驚きとともに人工放射能や被曝といったことに関心の薄いことを奇異なるまなざしで視ていました。
今も放射性物質を漏出し続けている壊れた複数の原子炉を前になすすべなく、また危険に対処するための方策もなく対症療法で原発とその周辺の汚染地帯を収束させようとしている政府と東電の無力さに暗澹たる思いでいます。
私たちはこの5ヶ月もの間、広島や長崎での被爆、チェルノブイリでの被曝経験者の言葉に耳を貸すよりも、専門家で無い政府関係者の発言や大メディアに登場する学者の示す数字やグラフに一喜一憂し、その言葉を闇雲に信じ、違った情報が交錯してくると思考停止に陥り、やがては現実を忘れ逃避してしまっています。
「だって結局よくわからないから」と。
無関心でいても安全な時代がもうとっくに終わってしまったことに気付かなければ、自分の命さえ守ることが難しくなっているのが現状です。
知識や情報は茶の間でテレビを見ていて解るものではなく、自分で図書館や講演会に足を運んで判断するものでしょう。
過去から学ぶこと、経験から導き出される本当の知識を伝えるべく、被爆経験者は我が血を搾るような思いで、忘れたい、逃避したいと常々思っている自分の身に降りかかった大惨事を後世のために語り継いでいます。この声をもっと真摯にきくべきです。
これからの子どもたちの修学旅行はディズニーランドに行くよりは広島、長崎に行くほうがとても大事なことです。
風の日も、雨の日もそして真夏の灼熱の太陽のもとでも
一心に手をひろげ立ち続けている白血病で亡くなった少女は、今日も広島の平和記念公園で語りかけています。
2011年07月20日
窓越しの玄界灘は碧かった。
九州佐賀県の玄界灘に臨む、九州電力玄海原発に行ってきました。
ちょうど俳優の山本太郎さんが佐賀県庁に用があった日の翌日です。
車を飛ばして暑い暑い陽射しの中をはるばるとやってきました。
わざわざ来ては見たものの、町は寂れていて原子力で潤っているという印象の無い田舎町。
玄海町境には「こころゆめみるアトムの町」なんて看板が立っていましたが、鉄腕アトムの象徴する近未来はどこにも無く、退屈な、それでもほっとする我が故郷といった感じの、田も畑もある小さな町でした。
一本の県道を走れば左に町役場と立派な施設が建っています。かたやその向かいには崩れ落ちそうな日本家屋が町のメインストリートに何かを問いかけるように佇んでおり、この町の人たちは左車線と右車線に混在する不自然な風景に一切の違和感を感じないのだろうか……と心配になりました。
町の中心部で休憩することも無く、私は人気の無い暑い昼下がりを無機質な町役場前を通り過ぎ玄海エネルギーパークへと向かいました。
週刊誌、インターネット、テレビがかしましい話題ふりまく玄海原発3号機ですが、直接この手に触ることもできないので、九電玄海原発付帯施設である玄海エネルギーパークを見学することにしました。
駐車場には車が数台、どれも佐賀ナンバー。ただ施設の中に入っても車の台数ほどの来場者はいないので、関係者の車かと思われます。
見かけるのは作業着を着た関係者、施工会社か配管業者か。
浅黄色の作業着で手持ち無沙汰に施設内を歩く彼らは打ち合わせの時間をつぶしているようでした。
ちょうどガイドツアーが始まる時間だったので参加しましたが、私以外に参加者はいませんでした。
時間が平日の昼過ぎなのでもちろん当たり前のことでしょうが、あれだけテレビやマスコミを賑わした玄海原発という有名人に会ったつもりが、ここにあるのは何も変わらない退屈な日常の風景でいささか拍子抜けしたのも事実です。
通り一遍の説明を唐津出身のコンパニオンのお姉さんに聞くあいだ、要所要所で聞き耳を立てて従いてくる九電の職員さんは、子供ももう高校卒業だろうと思われる働き盛りの中年男でした。そんな彼がいそいそとしてこちらを気にするのを、なかばあきれるより笑ってみていました。つかず離れず、モニターの画面をふいたり、見慣れた窓外の風景をみてみたり、なんだかこれが一日の仕事だとしたら、会社として社員に対してとても失礼だと思うような脱力感を彼のために感じました。
そんな忍者を背中に従えて原発のリアクターが見渡せる3階まで行き説明を聞きました。
福島の事故以降、説明も多少変わったみたいですが、玄海原発は福島と違って加圧水型だから大丈夫だ、ということでした。
原発越しに見える海は広く大きくきれいだけど、日本に住む人はたいていこれと同じようにきれいな風景を目にすることができます。
ここだけが美しいわけではないし、ここだけが危険でもないということを改めて感じることができました。
日本を取り巻くどこにでもある美と凶。(それが当たり前のように54基もうまく日本を取り囲むように建てられていることにぞっとさせられる。)
そんな、典型的な日本の美しく、なんだか懐かしい海の景色を原子炉建屋越しに見ながら空調のほどよくきいた施設を後にして、勢い込んで来てみた割には、なんだか脱力するほどの肩透かしをくったものです。
現実は淡々として事故が起こるその日まで現状を維持していくのだなぁと感じました。
それはまるで未来への想像力の無い過去の旅をしたような、九州佐賀の玄海町訪問でした。
2011年07月07日
2011年07月01日
コルネリウスの植民市

「イタリアのナポリの近くにポンペイという遺跡がある。
紀元前から商業で栄えたこの都市は古代ローマ帝国に侵略された後も繁栄を続けた。
女神ヴィーナスに護られ、快楽都市としても有名なポンペイに突然の終止符が打たれたのは紀元後79年。今から1932年前の夏のことだ。
17年前に襲った大地震の復興がまだ完全に終わらない中、今度は近くにある火山ヴェスヴィオが火を噴いた。その日は一昼夜火山灰が街を覆った。
ローマに避難するポンペイ人もいたが、それでもその街に留まり続ける者も多くいた。
翌日、火砕流が発生し残った住民は逃げる間も無く一瞬にして呑み込まれた。そして1748年に発見されるまで長い間この街は眠り続けた。」
6月30日に各新聞がこんなニュースを流した。「子どもの尿からセシウム 福島の子ども10人全員から検出」
先日行った代々木の平和映画祭で福島の子どもを守る会のメンバーが声を詰まらせながら言っていたのはこのことだった。「6月30日に発表がありますから」と詳細を言わずに予告していたので何のことかわからなかったが、公式に発表されたのは彼らが守ろうとしている子どもたちにとって最悪のニュースだった。
たぶんそこで発言していた人の子どもも含まれていたのだろう、やりきれない苦しみと悔しさで今にも倒れそうだったが、そのとき会場にいる他の人々にはその深刻さがわからなかったと思う。
このニュースは、6月30日に大変な発表があると言っていた彼らが思っていたほど世の中は取り上げなかったと思う。当事者たちにとって客観的な事実として内部被曝を宣告されたのに、内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長は「十分低い値。健康への影響は疫学的に考えられない」との認識を示した。
疫学的に考えられないのでなく、何でも「人ごと」としてしか考えていない人物にとって子どもが内部被曝していることなど無用な心配なのかもしれない。
それでも、自分もかつて子どもだった時分に親や周りの大人たちに守られて成長したことを思い出したら、もう少し違う発言があるはずだ。
少なくとも6歳の何も知らない無垢な子どもに「せしうむってなーに?」と検査の結果を聞かれた親の立場になってみるといい。自分の孫に「大丈夫だよ、何の心配もないから。」と彼は言い切ることができるだろうか。
日本国中の皆が責任のある立場にいる者たちの発言や動向に注目している。ここで誤れば後に多くの国民に大きな禍根を残す。彼らにその覚悟があるのか。
私たちはずっと忘れない。「大丈夫だ!」と断言した学者、政治家、責任者たちの名前を……。
「子孫に金を残しても、後世に犯罪者としての汚名を残すなよ!」
2011年06月28日
ダーティ・ボム
●2011年06月28日●
「ダーティ・ボム=核汚染を引き起こす爆弾」
……東電は3・11大震災において期せずして4つのダーティ・ボムを破裂させたのと同じ状況をつくりだした、そしてその爆弾は今も回収されず放射性物質を放出し続けている……。
一昨日は朝から晩まで代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターにいました。
前回紹介した「第8回東京平和映画祭」を観に行くためです。
今回の内容は東電福島第一原発大事故を踏まえ、ほぼ原発関連のドキュメンタリーと講演でした。
チェルノブイリ事故のこと、ビキニ環礁核実験での日本漁船被曝のこと、日本の原発導入の経緯、原発労働者の被曝のこと……今知りたいこと、原発54基に囲まれた日本列島に住まうものとして本来知っておかなければいけなかった情報、そしてすぐそこの事実として認識していなくてはならないことなどを改めて考えさせられるイベントでした。
冒頭、開会の挨拶の後に福島から来た「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の人が紹介され壇上に上がりました。
言葉がすぐにはでてこなくて、一呼吸おいてから絞りだすように「今、福島の子どもたちは大変な状況です。」と一言絶句……。もう、細かく説明せずともその沈黙が数多くを語っていました。
(この団体は子どもを持つ親が福島県に限らずたくさんの県からの親御さんたちが参加されてるそうです。ただ一つ「放射能から子どもたちを守りたい」との想いだけでつながっています。 http://kofdomofukushima.at.webry.info/ )
そんな深刻な告白から始まったイベントはほぼ満席で、温度設定28度の空調と熱気で汗ばむ会場でしたが10時間近くの長丁場のなか6本のフィルムと5つの講演を時が経つのも忘れるくらいみんな懸命になって観て聴いていました。
イベント終了後に改めて今回の事故を考えてみました。それは福島一県に納まるような規模の話ではなく、チェルノブイリがそうであったように県境、国境を越えて風向き一つで汚染区域が決まるという理不尽だけど抵抗しようが無い大事故です。100日を過ぎても過去形にならず、現在進行し続け、収束の気配を感じる事が一向に出来ない脅威。
それを前にしてまず過去の事例から、そして最新の研究から未来に希望が持てるように情報を集めるのは大切な事だと思いました。情報の取捨選択は個人に任せられているけれど、「危ない!」と「大丈夫!」の押し付けはこの場合一番危険です。自分で考えて最良の選択をするしかないということを痛感しました。
「知り、考え、そして行動しなければならないと」