2011年06月25日

第8回東京平和映画祭は原発特集

●2011年6月25日●
明日26日は代々木オリンピックセンターで一日映画を観てきます。
毎年恒例の『被爆者の声を受け継ぐ映画祭』で同じ実行委員メンバーのT氏から紹介してもらったこの映画祭は、なかなか見ごたえのある構成です。
『被爆者の〜』の試写会で見たものも多いのですが、合間に藤田祐幸氏・飯田哲也氏・上杉隆氏の講演が予定され非常に興味深いです。
詳細はホームページで。 http://www.peacefilm.net/home.html
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2011年06月23日

祥月命日

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『想い出のサダコ』の著者で虹基金の創設者、大倉記代さんが亡くなってから3年がたちました。
今日6月23日が命日です。
大倉さんは伊豆大島にある樹木葬「千の風みらい園」に眠っています。
末期ガンを宣告されてからの大倉さんは一日一日を惜しむように平和活動をされていました。
大倉さんから預かったこの基金を、子どもたちの未来のために少しでも良くなるよう頑張って行きたいと思います。
大倉さんの「平和」とは「戦争」の反対語ではなく、心の平安を一日でも長く維持できること、だと思います。
少しでもその援けとなることが出来るよう、また今日から気持ちを新たに出発していかなければならないと思っています。
大倉さん、大島の自然にかこまれた未来園でどうか安らかに眠っていてください、そして私たちを見守っていてください。
 
合掌
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2011年06月20日

アレクセイの泉と王子の星

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●2011年6月20日
日曜日、小雨の降る中を東京都北区王子駅前の北トピアに「アレクセイと泉」を観に行った。
落語「王子の狐」で有名なここ王子には飛鳥山公園という桜の名所もあり、
私の好きな場所のひとつ。
駅前の北トピアにはプラネタリウム上映施設があり、今回はこのプラネタリウムのドーム上のスクリーンでの鑑賞だった。

「アレクセイと泉」は本橋成一監督によるドキュメンタリー作品で、音楽は坂本龍一が担当。
(制作の神谷さだ子さんや特別協力の鎌田實先生はジムネットの総会でつい先日お会いしたばかり。ここでその名を見つけるとは思わなかった。)
映画の舞台はチェルノブイリ原発事故14年後のベラルーシ共和国にあるブジシチェ村。
爆発した4号炉から180キロ北東の距離にあるが、当時の政府によって移住勧告が出され600人居た住人のほとんどが去った小さな小さな畑と森と泉だけの村だ。そこには55人の年寄りとアレクセイという青年が一人残った。放射能によって汚染されたこの村は地図からもその名を消された。

青年アレクセイのナレーションで始まるこの映画は、村の営みをそこに流れるゆったりとした時間そのままに私たちの前に再現していく。
新じゃがの収穫期に豊作ならば喜び、泉の洗濯場が壊れれば森へ行って木を伐り出し、村の男たち総出で囲いを直す。一人ひとり使い込んだ斧を持ち、時間を気にせず作業にかかる。丸太で囲われた立派な新しい洗濯場が出来上がればウォッカで乾杯し、煙草を吸い、神に祈る。
だれも急かすことがなく、日が沈んで暗くなれば眠りに就く。
劇場の椅子に深く身を沈めて観ていると、こちらも眠気を催すくらい、ゆっくりと時間は流れ、いつの間にか夕暮れと共にその闇に同化して行くようだった。
明くる晴れの日、泉を祝うパーティーになると赤いスカーフの女たちは踊り、男たちは倒れるまでウォッカを飲む。ガチョウが羽ばたき豚は啼き、時は賑やかに過ぎていく。
ただ、そこには子どもたちの黄色い声はない。

ジャガイモ畑もパーティーの会場でも、丸太を伐りだした森も、セシウム137が6〜150キュリー/km2も検出されている。とても高い数値だ。
ただ、村の命の泉の水からは放射能は検出されない。

美しい村の風景に、村人達の人間らしい素朴な生き様に、そこが汚染され棄てられた村だという感覚にどうしてもなれない自分を見いだしながら、子どもが一人もいない奇妙な寒村を映したこの映画を観終わって、運命に逆らうことなく命を全うしていく人間にとても共感している自分を見つける。
ああ、自分も歳をとったんだなぁと思いながら。

上映が終わった後、スクリーンには1986年4月26日のベラルーシの夜空が投影された。輝く満天の星の中を北極星を探す。
数え切れない星屑を見てふと思う。
ここのところ星空を見上げる余裕がなかったな、汚染された大気や風をうらんでとても心が窮屈になっていたな、と。


正しく恐れなければならない放射性物質だが、人が汚したものなんだ。時に気を張りすぎると疲れてしまう。子どもたちを守る努力は続けなければならないが、心が疲れてしまうと行き場がなくなってしまう。計画停電で夜空が綺麗にみれるようになったら。必ず星空を見上げて2011年のその夜の北極星を探してみよう。
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2011年06月18日

キャンドルナイトと美術館

P1000221.JPG●2011年6月18日
一昨日、丸木美術館に行ってきました。
鎌倉から東京を通り越し、埼玉県東松山市にある美術館に到着するまでにおよそ3時間かかりました。
丸木美術館は丸木位里、俊夫妻による有名な「原爆の図」が常設されています。
ドキュメンタリー映画の中でしかその作品を見たことはなかったのですが、実際に作品の前に立ってみてその迫力に圧倒されました。
全15部の構成で、原爆投下直後の地獄絵が、人体の的確な描写と墨色の深さにより引き込まれるような画面に仕上がっています。
その中でも一番私の目をひいたのが第4部の「虹」という作品です。
濃い藍色が画面右手を覆い、そこにうっすらと虹の弧が描かれています。
まさか、原爆の図のタイトルに「虹」という爽やかな言葉が選ばれるとは思っても見ませんでした。そしてその作品説明を読んで愕然としました。
「(前略)……上空高くまで吹きあげられた煙とほこりが、
雲を呼び、やがて大粒の雨となって、
晴天のまっただなかに 降りそそいだのでありました。

そして暗黒の空に虹が出ました。
七彩がさんさんとかがやいたのでありました。 」
(原爆の図 第4部 《虹》注釈より抜粋)
この虹は「黒い雨」の降った後の虹だったのです。あのサダコちゃんが浴びて原爆病(白血病)になる切っ掛けになった放射性物質の濃縮された雨粒。
その忌まわしい雨にも自然はきれいな虹を描かせたのでした。
自然には善も悪もなく、人間がその下で右往左往しているだけ。
汚染された雨を降らせたのは、原爆をつくり、落とし、そしてその惨劇の切っ掛けを作ったちっぽけな人間の争いでした……。


呆然としたまま2階の展示室を降り、特別展を観にいきました。
今回は緊急開催として「チェルノブイリから見えるもの」が企画されていました。
『風しもの村 チェルノブイリスケッチ』を中心に展示された画家、貝原浩氏の作品は絵巻の様に村の風景を、生活を、そして人々の表情を活写していました。ただ、村人達の明るい笑顔の裏には間違いなくあの「チェルノブイリ原発事故」という重い問題がのしかかっているのです。それを思う時、普通の暮らしがいかに尊いものかを実感しました。
(貝原さんは2005年6月30日に耳下腺がんで亡くなっています。享年57歳)
また、写真家で映画監督の本橋成一さんの被災地ベラルーシの写真、フォトジャーナリストの広河隆一さんのチェルノブイリと福島の写真が展示されていて、過去の悪夢を繰り返してしまった現在に、なんともやりきれなく、また現在進行形で進んでいる福島の現状に薄ら寒い戦慄を背中に感じました。
目の前に映し出された絵画や写真には、それを伝えるに余りある力を持っていたのでした。

重い気持ちで丸木美術館を後にして、その夜はジムネット(日本イラク医療ネットワーク)のキャンドルナイトに参加するために東京・高田馬場に向かいました。

広島に落とされた原爆の火を今に伝え、毎年各地で開かれるキャンドルナイトの種火となるのは、福岡県星野村に持ち帰られた原爆の火です。
憎しみの火種として当時保存された火は、今では平和への架け橋として伝えられることになりました。
いくつものロウソクが用意され、テーブルを囲んで時間が来ると部屋の電気が消えました。蛍光灯の下、燃えていたロウソクは取るに足らない小さな明かりでしたが、真っ暗になった時のあたたかそうな紅い火はとても頼もしく感じるのでした。明かりが消えてろうそくだけの暗さに目が慣れると皆の表情にはフッとちいさな笑顔が浮かびました。
ロウソクを見ながら、自己紹介をして、原爆の火の由来の話を聞き、それぞれが自由に思っていることを話し始めました。
今回は福島の被災地にボランティアで参加した人も多く、避難所の現状や今後の見通し、これからできることなどが話されました。
その中でも一番大きな話題はやはり原発のこと、そして放射能汚染のことでした。
ここは内閣執務室ではないので、皆の意見や話したことがそのまま実行されるわけではないのですが、思い思いの意見を丁寧に聞くことはとても大切な事でした。
皆が皆たいへんな不安を抱えているのです。
予定されていた時間を1時間以上も過ぎ、ロウソクが燃え尽きるまで話しは続くかのようでした。

ロウソクに灯された小さな火はあたたかくゆらめき、その日そこに集まった人たちにゆったりとしたひと時を与えてくれました。
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2011年06月09日

ジムネット総会

angelo.jpg●2011年6月09日
大倉記代さんの立ち上げた「サダコ」・虹基金。
その目的は、現代の「サダコ」ちゃんと同じ悲劇を繰り返さないこと。
そして、そのために出来ることから一歩を踏み出すこと。
(サダコ=ヒロシマ原爆の子の像モデル佐々木禎子)

現代のサダコちゃんは今もイラクにいる。
もう、忘れられたイラク戦争。(日本国も物心両面で参加した戦争)
現在もそこでは苦しみながら幼い命が日々失われている事実がある。
爆弾によって一瞬で命を奪われるのではなく、忘れた頃にやってくる放射能被曝によって死にさらされる恐怖。
サダコちゃんと同じ晩発性のガンは子どもたちの体と心をゆっくり蝕んでいく。
一刻も早くその子どもたちに治療の手を差し伸べ、くじけそうになる心に励ましの言葉を掛けるのに国境や人種は関係ない。
だから今も、いや今だからこそジムネットは頑張っている。

日本イラク医療ネットワーク(通称ジムネット/代表・鎌田實)という医療支援団体は一貫してイラクの幼い命を守ろうと努力している。
イラクに医療支援を長年続けて、それなりの成果を挙げている。
「サダコ」・虹基金はその参加団体。
昨日、新宿でジムネットの総会が開かれた。

今回の総会では、イラク支援だけではなく3・11大震災後の東北への復興支援を始めたことについても話し合われた。
大地震後から3/20日には現地に入り支援活動をはじめたという。
現地のボランティア団体とも協力しながら、公衆浴場設置や運営、イラクでの感染症対策の指導に実績のある看護師の派遣などイラク支援と平行しつつできることから始めて行った。
それから、3ヶ月。総会の席上で報告された現地の状況は報道から忘れられがちな小さな村の大きな問題点が山積みであった。
目に見えるところでは一歩ずつ復興に向けて進んでいる。ただ、目に見えないところではむしろ被害が拡大し進行しているとのことだ。
具体的には、訪問介護が必要な人にケアが出来ていない。
要介護のレベルが放置される事によって上がっていく。治療の遅れで片足を切断しなければならないほどの悪化を招く。
行政が少しでも目を向けて改善していければ良いが、全く放置された状態だ。
だから、そこに支援に入ったボランティアたちに全てを任される。
人の命を、不十分な人材と物資でつないでいく。
人間に善意がなければ見殺しになっていくのが現状だ。
国難として、総力をかけて国民の命を守る義務を果たすべき政治家、官僚はお手上げなのか。その仕事を一般の納税者に任せておいて良いのだろうか……。

出来ることから一歩を踏み出す「サダコ」・虹基金。
自分も目の前の一歩を踏み出す為に現地に赴こう。
今、石巻の避難所ではダニの駆除に重点的に取り組んでいる。
その手伝いに資格は要らない。時間さえあればあとは誰でもいいという。
自分に出来る小さな一歩を踏み出すにはちょうど良い。
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2011年06月06日

原爆と子どもたち

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6月5日、広島の原爆資料館で『原爆の子』出版60周年記念の会が開かれたとのニュースをみつけた。
 『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(岩波書店1951年刊)は被爆した子どもたちの105編の手記を教育学者の故・長田新氏が編集した。
 このこどもたちの手記はその当時とても大きな社会的反響を呼んだ。そして本書を原作に2本の映画が制作された。新藤兼人監督「原爆の子」(1952年)、関川秀雄監督の「ひろしま」(1953年)がそれだ。(これらの作品は「サダコ」・虹基金として関わっている「被爆者の声を受け継ぐ映画祭」の試写会で上映された時に観ている。)

 これほどまでに当時有名だった本も、今は忘れてしまった人や知っている人が少ないのが現状ではないだろうか。特に若い世代に伝える事ができているかというと疑問だ。
 知らなくて良いことと、知らなくてはいけないこと……間違いなく過去の負の遺産を背負わされる若い世代には過去の知識が必要だ。
 同じ轍を踏まない為にもその当時、心からの叫びで訴えた人々の言葉に耳を傾けたい。
 そしてそれを、未来を担う子どもたちにこそ知ってもらおう。
その環境を作るのは大人の役目だ。

 6月5日の記念会場では長田氏の教え子らが「『原爆の子』をうけつぐ会」を結成した。
そしてそのうけつぐ会は同日、平和に関する本の感想文などを募集し、新たに編集・出版することを発表した。(募集は7月1日から9月10日)

「サダコ」・虹基金としては、ぜひ『想い出のサダコ』の感想文を読んで見たい。
広島の平和記念資料館の図書館にも入っている。P1000034.JPG

≪平和の感想文募集内容≫
1内容 
 ☆『原爆の子』『わたしが小さかったときに』など、平和にかんする本の感想
 ☆平和にかんする体験発表文
 ☆平和にかんする随想
 ☆平和にかんする詩・短歌・川柳・俳句・随想
2分量
 ☆小・中・高校生(高校在学年齢までの専門学校生)は、1200字。
 ☆高校卒業年齢以後の専門学校生・大学生・市民は2000字以内。
 ☆詩は1篇、短歌、川柳、俳句は5点以内。
3応募資格
 ☆広島県内の小・中・高校および専門学校生・大学生・市民。
4送り先
 〒732−0058
 広島市東区光町2−9−15
 原爆遺跡保存運動懇談会気付
 「原爆の子をうけつぐ会事務局」
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2011年06月02日

ネックレスと女の子

虹つうしん8003.jpg
身を飾るためのネックレスやブレスレット。
背伸びして、大人の真似して母親のアクセサリーで遊ぶ女の子。
見ていて微笑ましい。

この前ネット上で「チェルノブイリ・ネックレス」をした少女の写真を見た。
見ていてとても痛々しい。

チェルノブイリ原発事故後に子どもたちに多発した甲状腺ガン。
「チェルノブイリ・ネックレス」とは甲状腺ガン摘出手術痕のことをこう呼ぶ。

放射性ヨウ素による甲状腺ガンは子どもたちに発症しやすい。
特に女の子に多く発症するという。
甲状腺を摘出してもその後の治療は長く続く。

チェルノブイリは紛れもなくレベル7の大規模な放射性物質漏出事故だ。
同じ規模の福島原発のレベル7の放射性物質漏洩は現在も進行中。
過去に学ぶためにも、チェルノブイリの事故をもう一度知る事が必要だ。

本日6/2日の深夜01:15からNHK総合テレビでBS世界のドキュメンタリー
「永遠のチェルノブイリ」02:06〜「被曝の森はいま」02:57〜「見えない敵」
を続けて放送する。これは見逃せない。
また、6/5日(日)22:00〜NHKEテレ(教育テレビ) ETV特集『続報 放射能汚染地図』も予定されている。
今後もNHKの番組表をチェックしてみて下さい。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0605_02.html

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2011年05月31日

ふくいちライブカメラ

東電福島第一原発の現況を、東電のホームページからライブカメラで見れるようになりました。
30秒の誤差があるとのことです。

http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/camera/
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2011年05月26日

地球は青かった

20101026erth.jpg旧ソ連の宇宙飛行士ガガーリンが50年前のその日、人類初の有人宇宙飛行を成功させた。1961年4月12日のことだ。
「やっぱり地球は青かった」の言葉を覚えている人も多いだろう。

遠くから見れば、ほんの小さな青いビー玉みたいな地球。それを一度この目で見てみたいと思う。
その中には、いい人も悪い人も、強い人も弱い人も、大きい人も小さな人も限られた空間の中で同じ空気を吸って生きている。
宇宙空間までは彼らの声は聞こえない。怒鳴っているのか、笑っているのかなんてわからない。
そんな小さな事より「地球は優しく光る淡い水色」である事の方が重要で、宝石みたいなビー玉を大事にポケットに仕舞って自分だけの宝物にしたいと思うのは、こどもっぽい感傷だろうか。
そんな青い地球を写真で見た。ガガーリンの言葉は写真を見ることで裏付けられる。
(画像は2010年10月26日(日本時間)準天頂衛星初号機「みちびき」撮影。(C) JAXA)
写真の持つ説得力はとてつもない。今はテレビやPC上でなら動画も見れる。

そして今、この動画をみて愕然とした。
 http://news.tbs.co.jp/newsi_sp/youtube_live/ 
(TBS/JNN福島第一原発情報カメラ(LIVE))

東電福島第一原発の現在の姿だ。
ぼろぼろの骨組みだけになった3号基の隣に、時折り白煙をあげ傾いて潰れそうな4号基。
見ているだけで危ない。
テレビやラジオ、新聞が伝えるニュースでは、ここまでの緊迫感が伝わってこない。
危機的な状況は冷徹に画面の向こう側にあった。宇宙船ではなく、車で行ける距離の所に。

あの4号基のプールの中に浸かっている燃料棒が転げ落ちたら……。
折角のこのきれいな星を人の住めない星にして欲しくないと願う。
ただ、これは人ごとではなく自分自身の問題だということを忘れてはいけないのだが。

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2011年05月24日

文殊の知恵

文殊菩薩は知恵の神様。大乗仏教において知恵をつかさどる菩薩とされる。

3・11の震災以来、破壊された原子炉を前に右往左往し、結局お水を掛けて冷やすことしか出来ないままこれといった対策を立てられぬ日々が過ぎていく。(放射性物質を漏らしながら)
今、日本の原子力事故を遠く離れて見ている海外の人々にとって、
神の火とも言われる原子力をコントロールしようとする私たちをどんな眼で見ているのだろう。

そんな刻一刻と悪化していく福島の壊れた原発4基を尻目に、
福井県では実験炉「もんじゅ」の復旧作業が今日から開始された。
科学者や原子力関係者の知恵が通用しないなか、
決して単純でない原子炉事故の復旧作業はとても危険を伴うものだと思う。
(この事故の復旧作業では課長が一人自殺している。)
研究室の机の上では問題ないのだろうが、あまりにも机上の理論と現場作業がかけ離れてるのを、福島の事故で見せ付けられているのでとても安心して任せられないのが本音だ。
しかし、作業は進んでいくのだろう。

事故復旧のための作業のために事故が起こらないことを祈る。
知恵の神「文殊菩薩」でなく、はるか未来で人々を救うといわれる「弥勒菩薩」に……。

でも科学技術を神頼みするなんてことは神様もあきれているだろう。
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