埼玉県東松山市に丸木美術館があります。「原爆の図」を描いた丸木夫妻の名を冠した美術館です。
今、緊急開催として「チェルノブイリから見えるもの」展を6月25日まで会期を延長して開催しています。
貝原浩氏のチェルノブイリを描いたスケッチを中心にフォトジャーナリスト・広河隆一氏、映画監督・本橋成一氏の写真を展示しているそうです。
21日に終わってしまいましたが、この前参加した飯舘村酪農家の緊急集会で現地報告をした豊田直巳さんが、ここでもスライド・トークのイベントをしていました。本当に忙しく駆け回っていらっしゃいます。
また、映画監督の本橋成一さんは「ナージャの村」、「アレクセイと泉」とチェルノブイリを題材にしたドキュメンタリー映画を撮っていて、丸木美術館との関連はありませんが本橋監督の作品「アレクセイの泉」を来月6月18日に北区王子の北とぴあで上映するそうです。
「サダコ」・虹基金として私はこれを観に行く予定です。
(上映16時〜/入場料800円/定員100名)
お問い合わせはプロジェクトUまで projectu.kitaku@gmail.com 03-6913-6603
企画展は今週中に、上映会は来月に観に行くのでそれらの感想はまたブログでアップしていきます。
丸木美術館/http://www.aya.or.jp/~marukimsn/
2011年05月23日
2011年05月21日
〜飯舘村 酪農家は訴える〜
地下鉄丸の内線を国会議事堂前駅で降り、首相官邸や国会議事堂の裏側を見ながら議員会館に到着。小学校の社会科見学以来の訪問です。
税金で建てられた新しい議員会館はピカピカで、ガラス張りのロビーはとても現代的で無機質な印象でした。
地下に降り、タリーズというコーヒーショップの脇を通って会場へ。(議員会館には他にもコンビニのセブンイレブンが入っていました。)
今回は緊急集会ということで、前日に牛のお産に立ち会ってから来たという飯舘村の酪農家、長谷川さんと田中さんが要望書を携えてやって来ました。
有田芳生議員主催のこの集会は時間こそ一時間ではありましたが、実際に現地から駆けつけて来た2人の切迫した状況が、他の情報と並列に扱うテレビニュースで見るのとはまったく違う空気を感じさせました。
まず初めにフォトジャーナリストの豊田直巳さんが東電福島第一原発事故被害地域の現状報告を写真を交えて説明。牧草をのんびり食べる牛やきれいに咲いた桜など、どの写真もそこが放射能で汚染されているとはわからない日常の美しい情景です。しかしここには事故以来、今も放射能が降り続け、空気中で3,8マイクロ、地面では15マイクロシーベルトが観測されていました。5月9日現在の積算で844マイクロシーベルトを観測した酪農家の方もいるそうです。この数字が何を表すかは残念ですが「ただちに健康に影響がない」のでわかりにくいのですが、とても危険なことが進行していると推測するには充分な数値です。
今までに、ヒロシマ、ナガサキの原爆、ビキニ環礁はじめ核保有国の大気圏内核実験、そしてスリーマイル島、チェルノブイリ、東海村の原発大事故、また湾岸戦争をはじめ近代戦での劣化ウラン弾の使用など、地球上には国境に関係なく大量の放射性物質が人々の生活圏に撒き散らされ地上に降り注ぎました。
しかし、たとえそれらが原因で病気になっても「ただちに健康に影響がない」つまり即死や急激な健康障害がなければ、被害としての認定にはたいへん長い時間がかかるし特定も難しいのが現状です。
今回の原発事故はとても複合的な問題をはらんでいます。
私たちがほとんど正しい知識を持ち合わせていない「放射性物質」が漏れ続けていることが事を複雑にしています。
人体への影響だけでなく、食物連鎖やそれに関わる経済活動など、人間が生活をする基盤の全てに関わって来る問題です。
酪農家は牛乳を生産する機械を扱っているのではなく、牛たちの命の恩恵として牛乳を出荷しています。一頭一頭の牛を大切に世話をして初めておいしい牛乳を出荷できるのです。しかし、そんな彼らが放射能汚染が原因で絞りたての牛乳を捨てたり、殺処分される牛を屠場に送り出すことは、とても言葉ではいい表せない悲しみと悔しさがあります。
そうした、思いと現状を長谷川、田中両氏が報告し、福島酪農業協同組合からの要請書を同席した議員たちに手渡しました。(写真は報道関係者に囲まれる中、要望書を議員たちに手渡しているところ)
その後は損害賠償問題に関して大阪市立大学の除本理史氏と弁護士の保田行雄氏が報告、質疑応答の後閉会しました。
約一時間の集会ではありましたが、その中身は非常に濃く、内容をすべて把握するのは難しかったのですが、このまま事故の収束が長引けば決して生産者だけの問題でなく、一般の消費者にもとても大きな影響が出てくることとなることが解りました。決して他人事ではないことに気づかされました。
今後、本当の風評被害を防ぐためにも正確な数値公開と情報開示、そして放射能の正しい知識を共有することがとても大切だと思いました。
2011年05月20日
緊急集会「原発“損害賠償”問題を考える」
今日は午後から東京に出ます。
以前、私が個展を開いた銀座のギャラリーと同じビルの地下ギャラリーで友人が個展をするのです。
鎌倉は都内への通勤圏で、電車の所要時間は昔に比べずいぶん短縮されています。
しかし運賃が往復で2,000円近くかかるので大変です。
都内に住む友人などは鎌倉まではちょっとした小旅行というイメージがあるのか、なかなか気軽には遊びに来れないようです。
銀座で作品を鑑賞してからは、参議院議員会館で開催される「原発“損害賠償”問題を考える〜飯舘村 酪農家は訴える〜」に出席してきます。
「サダコ」・虹基金をとおして知り合った金子サトシ監督からのメールでの情報です。
今回の緊急集会での報告者の一人には、一昨年8月6日の広島で知り合ったフォトジャーナリストの方もいます。
「サダコ」・虹基金に関わることで、いろいろなことやたくさんの人がそれぞれつながって来ています。
そしてそれは、原爆や原発といった専門的なことではなく「子どもたちの未来を守りたい」という意志のもとに、それぞれが動いている結果なのだと思っています。
以前、私が個展を開いた銀座のギャラリーと同じビルの地下ギャラリーで友人が個展をするのです。
鎌倉は都内への通勤圏で、電車の所要時間は昔に比べずいぶん短縮されています。
しかし運賃が往復で2,000円近くかかるので大変です。
都内に住む友人などは鎌倉まではちょっとした小旅行というイメージがあるのか、なかなか気軽には遊びに来れないようです。
銀座で作品を鑑賞してからは、参議院議員会館で開催される「原発“損害賠償”問題を考える〜飯舘村 酪農家は訴える〜」に出席してきます。
「サダコ」・虹基金をとおして知り合った金子サトシ監督からのメールでの情報です。
今回の緊急集会での報告者の一人には、一昨年8月6日の広島で知り合ったフォトジャーナリストの方もいます。
「サダコ」・虹基金に関わることで、いろいろなことやたくさんの人がそれぞれつながって来ています。
そしてそれは、原爆や原発といった専門的なことではなく「子どもたちの未来を守りたい」という意志のもとに、それぞれが動いている結果なのだと思っています。
2011年05月18日
火を灯しつづけること

緑色の封筒を開けながら、ふと私は一昨年に浅草寺伝法院大書院で行われた下町庶民文化賞授賞式のことを思い出しました。
東京都台東区の市民団体「下町人間の会」は、下町の庶民の暮らしと文化・平和を守るために貢献したとして大倉記代さんの功績を称え、2009年11月に下町庶民文化賞特別功労賞を授与しました。
その授賞式にはすでにお亡くなりになっていた大倉さんの代わりに私が出席しました。
普段入ることの出来ない大書院には、外の喧騒もさえぎるような小堀遠州作による美しい庭園があり、そこの池が鏡のように静かに五重の塔を映していたのが印象的でした……。
さて、下町人間の会からの手紙は、来る2011年7月17日に台東区民会館で「原爆・平和の火を灯す会」の全国サミットが開催されることの案内でした。翌日には非核・平和をうたうつどいが日比谷公会堂で開かれるとのことです。「サダコ」・虹基金としてもこの会には参加しなければならないと考えています。
上野東照宮の境内には1990年より広島と長崎で採火された「広島・長崎の原爆の火」が灯っています。
この広島の火は国内で41ヶ所、海外で2ヶ所で灯されている福岡県星野村の同じ火を種火としています。(鎌倉にも大船の観音様の境内に灯されています。)
これから先も、このちいさな平和の火を皆で守って行かなければなりません。
かつて広島、長崎であったことを忘れずにいるために。
2011年05月17日
「サダコ」・虹基金の現状報告

今まで沈黙していたこのブログをようやく始めることができるようになりました。
今後は虹基金として参加する予定や企画のことなどを不定期に記録していきます。
皆様お付き合いの程、よろしくお願いいたします。
「サダコ」・虹基金は原爆の子の像のモデル佐々木禎子ちゃんと同じ病院で過ごした故・大倉記代さんが、サダコちゃんの絵本の出版をきっかけに2006年3月に設立した基金です。
大倉さんは設立当初から書籍の印税を基金に寄付するなどし、現代の「サダコ」ともいえるイラクなどで白血病や小児ガンで苦しむ子どもたちを支援することを目的にしていました。
残念ながら大倉さんは道半ばで2008年6月に東京でお亡くなりになられました。ガンでした。
2007年に私が鎌倉で個展をしたときお会いして以来、連絡のなかった大倉さんから突然電話が来ました。
大倉さんの著書『想い出のサダコ』の挿絵を書いた私に「サダコ」・虹基金を引き継いでくれないかとの依頼でした。
私は、人脈も知識も基金運営のノウハウも何もなく、ましてや平和活動家でもない一介の絵描きなのでその大任は身に余るとご辞退したのですが、他に引き受け手がなくこのままこの基金が消滅するのを見るのは寂しいとおっしゃられました。
未来ある子どもたちへの支援を続けてきた大倉さんの、未来をつなぐ架け橋である「サダコの虹」が掻き消えてしまうのは、私もとても寂しいと共感しました。
それで私は「私なりのやり方でよろしければ」とお引き受けすることになったのです。
2008年3月、亡くなられる3ヶ月前のことでした。
それから早三年の月日がたちました。
その間に私は「サダコ」・虹基金の代表として日本イラク医療ネットワーク(通称JIM-NET/代表・鎌田實)の賛助団体としてイベントや勉強会に参加してきました。また、よも出版を通して知り合った「被爆者の声を受け継ぐ映画祭」にも実行委員として参加するようになりました。
3年の勉強期間を経て「サダコ」・虹基金の方向性や今後を私なりに考えてまいりました。
これから「サダコ」・虹基金は大倉さんの意志を引き継ぎつつ、私なりのスタイルで進んでまいります。
どうか皆様、温かい目で見ていてください。そして応援をよろしくお願いします。
ともに手をつなぎ、過去と未来、人と人との虹の架け橋を渡って行きましょう。
夜川けんたろう